2023年10月9日月曜日

第3話 原発事故は前代未聞の新しい戦争だ。だから市民立法のエッセンスはパルチザンの理論の中に埋め込まれている。(2023.10.9)

 アレクシェービッチ・スベトラーナはこう言う。

チェルノブイリに関する新聞記事ではいつも戦争用語が使われました。
爆発 英雄 兵士 避難
事故処理に投入されたのも軍隊でした。
しかし、核兵器への備えはあっても平和な原子力への備えはありませんでした。
或る兵士は彼女にこう言った。
「俺たちはいったい何をしてるんだ。今までの訓練なんか全く無意味だ」。ここでは最新兵器も役に立たず、兵士は生身でヘリコプターから降下するしかなかった。
チェルノブイリ事故で、人々は死がそこにあることを感じました。目に見えない、音も聞こえない、新しい顔をした死を。私は思いました、「これは戦争だ。未来の戦争はこんなふうに始まる。でもこれは前代未聞の新しい戦争だ」と。

原発事故とは見えない戦争。それも見えない核戦争。

そこで、原発事故の災害から人々を救済する日本版は、この見えない戦争との闘いとなる。それも市民による闘い。

だから、市民立法とは専門家でない市民による市民戦争のこと。

それは、 たとえて言うと、非正規軍による市民戦争=パルチザンのこと。

この意味で、政治における非職業的政治家である市民主導の市民立法のエッセンスは、軍事における非正規軍である市民主導のパルチザンの理論の中に埋め込まれている。

この対比がなぜ重要かというと、第1に、今なお、多くの市民は市民主導の市民立法に対して、「そんなだいそれた事が可能なのか」と職業的政治家に対するコンプレックスーーそれは長い時間をかけて刷り込まれたマインドコントロールの1つーーの中にあるから。

第2に、これが幻想であることを、非正規軍である市民主導のパルチザンの実例から学ぶことができるから。

例えば、 パルチザンの新しさを考察した文献として、カール・シュミットの「パルチザンの理論

 フランス革命までの王朝間の戦争を、傭兵を用い、「在来的な敵」を相手どって行なうゲームとすれば、ナポレオン軍に対抗したスペインのパルチザンは、史上初めて相手を、自らの実存を脅かす「現実の敵」と認識した。19世紀までのヨーロッパ公法は、主権国家と「正しい敵」(この「在来的な敵」と「現実の敵」)概念によって秩序づけられていた。20世紀はこの崩壊を目の当たりにする。一方、19世紀初頭以来萌芽状態にあったパルチザンは、レーニンと毛沢東によって革命と戦争の主役に躍り出るとともに、敵概念にも決定的変化をもたらした。
ちくま書房の解説より)

 

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