2023年10月9日月曜日

第6話 311(福島原発事故)は第2の戦後 三月革命と第2の全面的な「法の欠缺」状態 (2023.10.9)

311(福島原発事故)は第2の戦後。
ただし、その秩序の向う方向は戦後と間逆、正反対だった。
その結果、国民主権は形骸化し、行政の独裁権力が強化された。

第二次世界大戦の戦後のスタートは1945年8月のポツダム宣言受諾による八月革命(主権が天皇から国民へ移った)。
この八月革命を具体化したのが1946年11月制定された日本国憲法だった。
その中で最も輝かしいものが9条の戦争の放棄、軍国主義の放棄だった。
その結果、日本国憲法に適合しない、当時存在していた明治憲法下の日本の法体系は一時的にせよ、全面的な「法の欠缺」状態となったが、
直ちに立法的解決が図られ、最高法規の憲法の理念に適合するように「欠缺の補充」がなされた。

これに対し、2011年の第2の戦後のスタートは311(福島原発事故)による三月革命。
それは311まで日本は「原発安全神話」の中に眠り込み、原発事故に対する救済について全面的な「法の欠缺」状態にあった、という意味。
しかも、この時、日本政府は立法的解決を図ろうとせず、
全面的な「法の欠缺」状態に対しては、行政府の全面的な自由裁量によって、その都度、適当な解決を図るという決断を下した。

それは、第1に、全面的な「法の欠缺」状態が発生し、本来であれば、立法的解決を図るか、さもなくば「欠缺の補充」による司法的解決が採られるべきところ、国はそのいずれも実行しなかった。
第2に、国が実行したのは2011年4月の文科省20mSv通知のように、単なる国際の一民間団体(ICRP)のお見舞いを根拠として、福島県の学童のみ安全基準を20倍に引き上げるという、どこにも法令の根拠を持たない裁量行為だった。
これは日本国憲法の基本原理である「法の支配」の否定、「法治主義」の放棄だった。
この意味で、原発事故に対する救済に関する限り、主権が国民から行政府へ移った。これが三月革命(正確には三月反革命もしくは三月法的クーデタ)である。

いずれも全面的な「法の欠缺」状態となりながら、第2の戦後は戦後とは間逆の方向に向った。

この、国民主権が戦後とは間逆の方向に向った第2の戦後の秩序を元により戻そうとするのがチェルノブイリ法日本版。
なぜなら、原発事故に対する救済について全面的な「法の欠缺」状態にあるものを日本版の制定により立法的に補充することにより、原発事故に対する全面的な救済の立法的実現を目指すものだから。

 

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