理不尽に屈しない
「チェルノブイリ法日本版」は、単なるユートピアとして構想しているわけではありません。むしろその反対で、福島原発事故で赤裸々に命の脅威にさらされた被災者に対して理不尽としか言いようのない政府の政策、措置に対して「それはおかしいんじゃないですか」という抵抗の中で構想してきたのが「チェルノブイリ法日本版」です。
この政府の政策の筆頭が文科省のいわゆる20ミリシーベルト通知。原発事故から一ヶ月後の2011年4月、文科省は、福島県の子どもたちの集団避難を実施するのではなくて、福島県内の学校に限って、放射線の安全基準を20倍に引き上げました。その結果、福島県の子どもたちの集団避難はなくなりました。福島県の子どもたちだけ2011年3月以降、放射線に対する感受性が20倍下がったから、これしか文科省通知の正当性は説明できません。私たちはこの理不尽な政策を忘れることができません(第1章参照)
同年6月に、福島県郡山市の子ども14人が郡山市を相手に、せめて、一般市民(大人)の防護基準とされている年間1ミリシーベルト以下の環境で子どもの教育を実施せよを求めて緊急の申立てを行った裁判(ふくしま集団疎開裁判)で、2013年4月に仙台高等裁判所は、子どもたちの申立てを却下する決定を下しました。決定の中で「福島の子どもたちは危ない。避難するしか手段はない」と認定したのに、結論として「被告郡山市に子どもたちを避難させる義務はない」と訴えを退けたのです。せめて大人並みの防護基準の環境で教育を実施して欲しいという子どもたちの願いは司法により蹴散らされてしまいました。 私たちはこの理不尽な裁判所の決定を忘れることができません。
2015年6月、福島県の内堀知事は、福島原発事故の自主避難者が避難先として身を寄せる仮設住宅の無償支援を2017年3月末をもって打ち切ると、自主避難者の意見も聞かずに決めました。そして、2020年3月、福島県は、その後も仮設住宅に身を寄せる自主避難者に退去を求めて提訴しました。
この提訴に対して、国連人権理事会から任命されたセシリア・ヒメネス=ダマリー国連特別報告者は、2022年、「避難者(国内避難民)への人権侵害になりかねない」と警鐘を鳴らしました。国際世論を代弁するこの警告は「福島県の提訴は国際人権法が国内避難民に保障する居住の権利を侵害するものであり、許されない」という被告避難者の主張と軌を一にするものですが、福島県はものともしません。私たちはこの理不尽な福島県の提訴と振舞いを忘れることができません。
「チェルノブイリ法日本版」がほかの原発事故の救済法に対し際立っているのは、「チェルノブイリ法日本版」が上に述べたような政府の理不尽な政策、措置に対して、明確にノーと表明していること、その非人道性を全面的に否定し、原発事故で脅かされた被災者の人権を断固として擁護する姿勢を明確に表明していることです。そして第4章で述べるように、市民主導による立法という直接民主主義を通じて、人権保障を実現していきたいと考えています。
自分のいのちの主人公になる
人間にとって最も貴いことは「個人の尊厳」です。それは、自分が「自分のいのちの主人公になる」ことです。その時、自分を人間として扱わない社会の不正義に対して、「私を人間として扱え」という声が自然と湧き上がってきます。それが「人権」の出発であり、それがまた放射能災害における「人権」を保障する「チェルノブイリ法日本版」の出発でもあります。言い換えると、この「チェルノブイリ法日本版」が想定している市民というのは「個人の尊厳」が尊重された市民、すなわち自分が「自分のいのちの主人公になる」ことを決意し、実行しようとする人たちのことなのです。同時にそれは、国民主権を宣言した憲法が主権者である私たちに託していることなのです。つまり、国民主権からすれば、政治の決定において、市民が主人公となるだけではなく、各人の命の営みにおいても、市民が主人公になるのが当然である、と。だから、放射能災害から市民の命をどうやって守っていくか、という問題の決定も、本来は、主人公である私たち市民の中から決定していくものなのです。福島県知事が、当事者である自主避難者の声も聞かずに、仮設住宅の無償支援の打切りを一方的に決定したことが憲法の国民主権の基本原理をいかに踏みにじるものか、一目瞭然です。
「人権」は、人がただ人であることにのみ基いて認められた権利です。おぎゃあと生まれてから亡くなるまでの間、切れ目なく認められるのが人権です。災害が発生したからといって中断されることはありません。そこからすると、不思議なことに日本の法律には災害における「人権」という発想がありません。その結果、福島原発事故直後、長崎から福島入りした山下俊一氏のような人が、講演で市民に向けて堂々と「国の指針が出た段階では国の指針に従うと、国民の義務だと思います」と表明したのは日本の法律に災害における「人権」を定めていないからできたことです。けれど既に半世紀前、東京都の公害防止条例(1969年)は前文ではっきりと「人権」を謳っていたのです。「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有する」―これをモデルにして、「チェルノブイリ法日本版」の前文も作られています。(第6章の条例案前文を参照)
「チェルノブイリ法日本版」条例案 前文
○○(自治体名を入れる)市民は、全世界の市民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに健やかに生存する権利を有することを確認し、なにびとといえども、原子力発電所事故に代表される放射能災害から命と健康と暮らしが保障される権利をあることをここに宣言し、この条例を制定する。
「チェルノブイリ法日本版」は、上に述べた「人権」の本質の帰結として、原発事故が発生したからといって、被災者は一瞬たりとも「人権」を喪失することがないこと、国家も人権保障を実行する義務を一瞬たりとも免れないことを確認したものです。本条例の前文は放射能災害に対する日本で最初の人権宣言でもあるのです。
「チェルノブイリ法日本版」を、強制避難区域の人たちに対する救済制度のように、国の避難指示に従った人たちが、「国や自治体から施し物を受ける」制度と考えている人がいるかもしれません。しかし、「チェルノブイリ法日本版」は、決してそのような施し物の制度ではありません。「チェルノブイリ法日本版」は、この国に救済制度の根本的な精神である「市民とは国の命令に従う見返りとして国から有難い施しを受けるという受け身の存在である」ことを根本から否定します。
「チェルノブイリ法日本版」は、放射能災害に遭遇した市民が、自分の命、健康、暮らしの再建のために避難し、移住すると自分で決めた時に、手にすることができる援助や利用できる制度を具体的にまとめたものです。人間らしい生活を実現するために、何をするかをまず自ら自己決定し、その上で、その実現に必要な援助を国に要求する主体的、能動的な存在であることを宣言するものです。
まず「逃げる」こと
放射能災害に遭遇した市民にとって「人権」の最初の一歩は、「逃げる」ことです。「逃げる」ことは、自分で自分の命、健康、暮らしを守るために自己決定した結果、言い換えれば、自分が「自分のいのちの主人公」になることを決断した結果だからです。
日本では逃げることはとかく卑怯だとか、非国民だとかネガティブな評価が幅を聞かせています。でも世界は違います。ドイツの作家ミヒャエル・エンデは「はてしない物語で」を例にあげてこう語っています。
「はてしない物語」でたいせつなのはね、バスチアンの心の成長のプロセスなんだ。彼はとにかくまず、自分の問題と対決することを学ばなくてはならない。彼は逃げ出す。けれども逃げることは必要なんだ。なにしろ、逃げることによって彼は変わるんだし、自分というものを新しく意識するようになる。そのおかげで、世界いうものに取り組めるようになる。
ミヒャエル・エンデほか「オリーブの森で語りあう」
いかなる環境においても、その中でどのような生き方を選択するかは、第一義的に当事者である市民が自己決定することであり、この自己決定に基づいて作られた法律が「チェルノブイリ法日本版」なのです。
そこで原発事故が発生したら、人々が放射能という「見えない、臭わない、味もしない」毒から逃げて、初期被ばくを避けようとするのは極めて真っ当なことです。そこで、人々がそのような避難行為を全うできるように、事故直後に緊急避難としての「避難の権利」を保障しています(第6章の条例案14条を参照)。これはチェルノブイリ事故から5年後に制定されたチェルノブイリ法にはない、「チェルノブイリ法日本版」に特有の、しかも本来の放射能災害からの救済にとって不可欠の最も重要な人権保障です。
現代の科学技術の水準では、ひとたび原発事故が発生したら放射性物質の封じ込めは不可能です。なおかつ人間の身体は放射線には勝てません。この現状認識から導かれる結論は、ひとたび原発事故が発生した場合、最善の救助策は人びとを原発から拡散した放射性物質から遠ざけることつまり「逃げる」しかないのです。
そこで、避難の具体的な第一歩は、事故直後に、原発から拡散した放射性物質に被ばくしないためにどの方向に向かって避難するのがベストか、これを知ることです。命、健康、暮らしの保障のため、とにかく安全な地点まで、命、健康を損なうことなく、避難することです。
チェルノブイリ事故では、政府は周辺住民に汚染状況を知らせなかったのですが、事故から3年後に汚染地図が公開され、そこで、多くの周辺住民が避難した北東部(ゴメリ地区)が避難元よりも高濃度に汚染されていたことがわかったのです。それを知った人々の怒りが、チェルノブイリ法の制定につながったといいます。
福島原発事故でも、この悲劇は繰り返されました。事故直後の3月12〜15日に、浪江町の住民らが北西部に向かって一生懸命避難したとき、まさにその方向に高濃度のプルームが原発から放出されていたのでした。取り返しのつかない初期被ばくを余儀なくされたのです。しかし、それは避けられた人災でした。
日本政府は、いちおう原発事故を想定した対策を立てていましたが、いざ福島原発事故が発生すると原発周辺に設置されたモニタリングポストの多くが作動しませんでした。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)で計算された情報も速やかに提供されませんでした。さらに、事故発生直後に、福島原発から5キロの地点(大熊町)に、現地対策本部として指揮をとるオフサイトセンター(原子力災害対策センター)を設置しましたが、4日後に現地から撤退し、機能しませんでした。2024年元旦の能登半島地震においても、志賀原発のモニタリングポストのシステムは機能せず、測定不可になりました。
このように、初期被ばくを避けるために必要な措置とシステムは行政の手にあり、その結果、住民は本来、避けられた無用な被ばくをさせられた。こうした痛恨の経験から、原発事故発生直後の放射能汚染状況を市民が自ら測定し、これを踏まえて正しく避難、対処する必要性があります。原発事故になれば行政は機能不全に陥る、それが過去の教訓です。
「チェルノブイリ法日本版」の実現に向けて、私たちは事故直後の汚染状況を市民が正しく知るために、行政のモニタリングポストに代わる、「市民放射能測定システム」の構築を提案します。(大庭さん)
<実践への手引き> 自分で放射能を測って、データを蓄積する
福島原発事故をきっかけに日本中に誕生した市民主導の放射能測定所と連携すれば、そうした測定所が「チェルノブイリ法日本版」のベース基地になることができます。あなたのスマートフォンに接続できる放射能センサーがあれば、あなた自身が簡単に放射能を測定することもできます。
スマートフォン接続型の放射能センサーに関する情報ウェブサイト
http://www.radiation-watch.org/p/support.html
その後ある程度落ち着いた段階で、今度は恒久的な避難をするかしないかをめぐって、恒久的な避難を決定した市民にこれが全うできるように「移住の権利」を保障しています(第6章の条例案11条を参照)。「チェルノブイリ法日本版」は、一つの権利を定めた法ではなく、様々な権利が集合し、まとめられた総合法で、「避難・移住の権利」の中心として、その周辺に、住民の命、健康、暮らしを守るために必要かつ十分な以下の様々な権利を束ねて構築していきます。
• 情報の開示請求権
• 放射性廃棄物に関する権利
• 人体・環境の放射能測定に関する権利
• 食の安全に関する権利
• 健康診断に関する権利
• 生活の自主的再建の権利
図3.1 「チェルノブイリ法日本版」が保障する「人権」
「チェルノブイリ法日本版」は、事故直後であっても、その後のある程度落ち着いた時点であっても、とにかく放射性物質から人びとが避難すること、これを基本として、なおかつこれを「人権」として保障していきます。
<実践への手引き>『安定ヨウ素剤を備えること』
ここに、Chapter 3 _Dr Ushiyama's note(牛山医師)を挿入する。
人権実現型&市民参加型の公共事業を創設する
上記の「人権」を実現するために、「チェルノブイリ法日本版」は必要な具体的な措置を講じていきます。その様々な措置を実現するためには、様々な形で、住民、市民が協力、支援、応援が不可欠となります。これだけの一大事業を一握りの専門家に解決策を委ね、実行を任せるという従来の行政主導型の公共事業では問題解決は困難です。社会的な問題はなんでもかんでも国におんぶに抱っこというやり方が通用しないことはチェルノブイリ事故や福島原発事故の経験から明らかです。
そこで私たちは、市民が主導する新しいスタイルの公共事業を提案します。汚染地から避難する人々の、避難先での新しい人間関係、新しい生活、新しい仕事、新しい雇用を作り出していく、市民参加型の公共事業です。市民は国難に対して、相互扶助の精神で協力する責任を負います。
原発事故という国難に対し、文字通り、オールジャパンで市民が参加して、避難者と一緒になって「避難・移住の権利」という人権の実現プロジェクトを遂行すること。そして、避難者の避難先での経済的自立の道筋として、各自の自助努力(新自由主義)でも、国への全面的な依存(福祉国家)でもない第三の道として、相互扶助の協同組合のスタイルを提案します。
「住民が経済的に自立する」という目標をただのうたい文句ではなく、生きたカタチにした1つが、「みんなで働き(協同労働)、みんなで運営する(協同経営)」という協同組合です。「人はバラバラでは外敵に対し孤立・無力だが、連帯したときは負けない」という単純な真理を経済活動に応用していきます。
原発事故が突きつけた問題「経済的自立の困難と人間的孤独の継続」を解決する「経済的自立とコミュニティ回復」という経済的救済、これをカタチにする、もう一つの経済復興は可能なのです。そのモデルはスペインのモンドラゴンの挑戦です。
モンドラゴンとは、1930年代のスペイン内戦で敗北し、荒廃し、見放されたスペイン・バスク地方の寒村モンドラゴンで、28歳の神父ホセ・マリーア・アリスメンディアリエタたちが始めた経済再建のための協同組合でした。最近の年次報告書などによると、81の協同組合、8つの財団、一つの投資信託、12の研究開発センターを所有するグループであり、金融、産業、流通、知識の4分野で、7万人を雇用。5大陸に拠点をおき、2022年会計年度の売上高は 106億 700 万ユーロ、スペイン第10位の企業に成長しています。
今まで、人に雇われて仕事をしてきたことはあっても、経営した経験なんかないから、無理だと尻込みする人がいるかもしれません。でも、心配ありません。生まれながら経営者だった人は1人もいません。みんなゼロから出発したのです。学ぶ意欲と勇気さえあれば大丈夫。モンドラゴンの人々もこう言っています。
《モンドラゴンの人たちは言う--モンドラゴンはユートピアではないし、
自分たちも天使ではないと‥‥ただ一緒に生き残る賢明な道を探しただけだと。》 (映画「モンドラゴンの奇跡」より)
私たちも、勇気を出して、一緒に生き残る賢明な道をともに探しましょう。 そして、経済的にも精神的にも自立しましょう。それが「もうひとつの復興、モンドラゴンの挑戦」を再定義し、私たちの未来をカタチにすることです。
モンドラゴンをモデルとし、相互扶助と自助努力で起業し、その中で生活再建を成し遂げる協同組合活動を具体化していきましょう。日本でも協同組合を支援する法律、労働者協同組合法(労協法)が2022年10月1日に施行されました。
これまで日本では、第二次世界大戦後の失業者対策での就労創出運動から出発した「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会」や、生活クラブ生協の運動から始まった「ワーカーズ・コレクティブネットワークジャパン」など、実態として労働者協同組合(労協)を運営してきた団体がありましたが、根拠となる法律がありませんでした。
労協は多様な働き方を実現しつつ、地域の課題に取り組むための選択肢の一つとして、労働者が組合員として出資し、その意見を反映して、自ら経営することを基本原理とする法人制度のことです。 労協法を活用して、放射能災害の避難者は避難先でみずから就労の場を作り出すことができます。同法7条1項では、持続可能で活力ある地域社会の実現に資する事業であれば、原則として自由に行うことができるとしています。
すべての労働者が同時に資本家=経営者になる協同組合では、協同労働=協同経営の組織ですから、そこでは資本家対労働者のような対立関係、敵と味方に別れるような関係はありません。すべての労働者が尊重され、共存していきます。株式会社の株主と異なり、出資額にかかわらず、組合員は平等に 1 人 1 票の議決権と選挙権を保有し、組合員が平等の立場で、話し合い、合意形成をはかりながら事業を実施します。
こうした協同組合の本質は、このブックレットで議論してきた「人権」の本質の論理必然的な帰結と言えます。或いは、協同組合と「人権」は同じ本質から派生したものだとも言えます。ともあれ、両者は不可分一体なものです。
マルクスは「対等な個人が自由なアソシエートを作る」中で、理想的なコミュニズムが登場するということを言ったのですが、この「対等な個人が自由なアソシエートを作る」というのがまさに協同組合であり、それは同時に、このブックレットで議論してきた「人権」を実現する新しい社会システムだと言えます。
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