この世で最も大切なことの1つが「名づけ」。それも「正しい」名づけ。
この正しい「名づけ」をめぐって一つの物語が書かれた。それが「はてしない物語」の前半。
アトレーユから「自身と国の健康を取り戻す方法がなぜ新しい名を得ることでしか叶えられないのですか」と尋ねられた際、ファンタージエン国の女王である幼ごころの君は次のように答えた。
「正しい名だけが、すべての生きものや事柄をほんとうのものにすることができるのです。……誤った名は、すべてをほんとうでないものにしてしまいます。それこそ虚偽(いつわり)の仕業なのですよ。」
この名づけの必要性を痛感した一人がアレクシェービッチ・スベトラーナ。
彼女はこう言う。
私はチェルノブイリに向かいました。そこで見たものに 私は憟然としました。
放射能は見えず 無臭で 触れることも聞くことも出来ず
耳も 鼻も 指も 役に立ちませんでした。
新しい言葉が必要でしたが
それもありませんでした。
この「名づけ」の最も偉大な実例が「ジェノサイド」。ユダヤ系ポーランド人の法律家ラファエル・レムキンが1944年に初めて造語として使った。
それは「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」(genocide)という新しい言葉を造語したもの。レムキン自身、それまでにナチスによって家族や親族49人が殺害された。しかし、彼がこの名づけを思いついたのは、チャーチル英首相がラジオ放送演説で「我々は名前の無い犯罪に直面している」と語ったことによる。「名前の無い犯罪」に名づけをする必要があることを確信させたのだ。
ただし、その後、「ジェノサイド」はその意味が拡張されて、次のように定義されている。
1948年、国際連合で採択されたジェノサイド条約の第2条で、
(1)、国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行なわれる、
(2)、次のいずれかの行為。
①集団構成員を殺すこと
②集団構成員に対して、重大な肉体的又は精神的な危害を加えること
③集団に対して故意に、全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を課すること
④集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること
⑤集団の児童を、他の集団に強制的に移すこと
もし、これが「ジェノサイド」の意味なら、福島原発事故のあとの日本政府が取った文科省20mSv通知も、SPEEDI情報の隠蔽も、安定ヨウ素剤の配布ボイコットも、福島県内の子どもたちの集団避難ボイコットも、いずれも「ジェノサイド」に該当する(上記の(2)②または③)。
その意味で、これらは福島原発事故のあと出現した「ジェノサイド」を「 フクシマサイド」と名づけることができる。
かつて、チリの詩人パブロ・ネルーダは、ニクソン大統領のベトナム侵略戦争を評して、「ニクソンサイド」と名づけたした。
その志は、次のまえがきに溢れんばかりの熱情をもって示されている。
ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌──まえがきhttp://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-1805.html
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