2023年10月11日水曜日

第7話 福島原発事故が映し出した私たち市民の最大の課題:自己決定権を適切に行使できなかった(23.10.11)

紛争はその紛争に関わる関係者全てにとって己の正体を映し出す鏡=リトマス試験紙である。

福島原発事故も日本社会を最も赤裸々に映し出した鏡=リトマス試験紙だった。そこでは、少なくとも3つのことが如実に映し出された。

第1が自然と人間の関係。
原発事故は「社会そのもの」を根底から覆すカタストロフィーだった。チェルノブイリ事故ではヨーロッパ全土があやうく人が住めなくなり、福島原発事故では一時は東日本壊滅を覚悟したほどの惨劇だった。

第2が人間と人間の関係。
ただし、今までの私の学習会の説明によると、それは原発を管理する権力を持つ人間側から見た関係のことだった。原発事故は「社会の人間関係」をいまだかつてないほど根底から覆すカタストロフィーだった。子どもの命・人権を守るはずの者(文科省)が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の加害者となり、 原発事故の加害責任を負う国が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒する。他方で、被災者・被害者は「助けてくれ」「おかしい」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者としてのけ者にされ、迫害される。福島原発事故は加害者が被害者、被害者が加害者とされる「あべこべ」の人間関係を生み出した犯罪だった。

第3として、実はもうひとつの人間と人間の関係があった。
それは原発を管理する権力を持つ人間たちと対立する、そのような権力を持たない大多数の人間側(その中心が被災者・被害者である市民)から見た関係のことだった。
問題は、福島原発事故が映し出した、これらの市民の最大の課題は何だったのか。
思うに、それは被災者・被害者である市民が自らそして家族や仲間の命、健康、暮しを守るために必要な自己決定権を適切に行使することが出来なかったことである。
自己決定権とは自分がどう生きるか、それを決めるのはこの私自身であるという思想に基づき各人に認められた権利である。それは人間が人間として扱われ、人間として生きる上での出発点となる権利である。この根源的な権利は福島原発事故のようなカタストロフィーの時こそ最も必要となる権利だった。しかし、私たち市民の多くは、福島原発事故のあと、事故と政府とマスコミに翻弄され、この大切な自己決定権を適切に行使できなかった。その結果、原発を管理する権力を持つ人間たちがおかした数々の犯罪に抗議し、抗い、これを止めることも出来ず、彼等の犯罪のおかげで、しなくてもよい無用な被ばくと苦痛、苦悩を強いられた。のみならず、自己決定権を行使しなかったため、そうした犯罪と人災をあたかも自分の運命であるかのようにみなし、諦め、そして甘受してしまった。

日本版は、市民の側の「自己決定権を適切に行使できなかった」という誤りに対する痛切な反省の中から生まれた。この痛切な反省に立って、二度とこの誤りをくり返さないために何が出来るか、何をなすべきかを問い続けるもの、それが日本版。

 

 

2023年10月9日月曜日

第6話 311(福島原発事故)は第2の戦後 三月革命と第2の全面的な「法の欠缺」状態 (2023.10.9)

311(福島原発事故)は第2の戦後。
ただし、その秩序の向う方向は戦後と間逆、正反対だった。
その結果、国民主権は形骸化し、行政の独裁権力が強化された。

第二次世界大戦の戦後のスタートは1945年8月のポツダム宣言受諾による八月革命(主権が天皇から国民へ移った)。
この八月革命を具体化したのが1946年11月制定された日本国憲法だった。
その中で最も輝かしいものが9条の戦争の放棄、軍国主義の放棄だった。
その結果、日本国憲法に適合しない、当時存在していた明治憲法下の日本の法体系は一時的にせよ、全面的な「法の欠缺」状態となったが、
直ちに立法的解決が図られ、最高法規の憲法の理念に適合するように「欠缺の補充」がなされた。

これに対し、2011年の第2の戦後のスタートは311(福島原発事故)による三月革命。
それは311まで日本は「原発安全神話」の中に眠り込み、原発事故に対する救済について全面的な「法の欠缺」状態にあった、という意味。
しかも、この時、日本政府は立法的解決を図ろうとせず、
全面的な「法の欠缺」状態に対しては、行政府の全面的な自由裁量によって、その都度、適当な解決を図るという決断を下した。

それは、第1に、全面的な「法の欠缺」状態が発生し、本来であれば、立法的解決を図るか、さもなくば「欠缺の補充」による司法的解決が採られるべきところ、国はそのいずれも実行しなかった。
第2に、国が実行したのは2011年4月の文科省20mSv通知のように、単なる国際の一民間団体(ICRP)のお見舞いを根拠として、福島県の学童のみ安全基準を20倍に引き上げるという、どこにも法令の根拠を持たない裁量行為だった。
これは日本国憲法の基本原理である「法の支配」の否定、「法治主義」の放棄だった。
この意味で、原発事故に対する救済に関する限り、主権が国民から行政府へ移った。これが三月革命(正確には三月反革命もしくは三月法的クーデタ)である。

いずれも全面的な「法の欠缺」状態となりながら、第2の戦後は戦後とは間逆の方向に向った。

この、国民主権が戦後とは間逆の方向に向った第2の戦後の秩序を元により戻そうとするのがチェルノブイリ法日本版。
なぜなら、原発事故に対する救済について全面的な「法の欠缺」状態にあるものを日本版の制定により立法的に補充することにより、原発事故に対する全面的な救済の立法的実現を目指すものだから。

 

第5話(続き)311後の私たちは何をしたら?(23.10.10)

311後に生きる私たちは、哲学者になるほかない、
もし、真剣に生き延びようと思うのなら。 


チェルノブイリ事故を経験したアレクシェービッチ・スベトラーナはこう言う。

農民は自然とともに生きています。
そこで私は何を見つけたでしょう。

学者や政治家 軍人は放心状態でしたが、
村の老人たちの世界観は崩れませんでした。

人々は哲学者になりました。

誰もが不可解な現実を前に
一対一で向き合うことになったから。

第5話 原発事故がもたらした認識の新しい歴史 人々は哲学者になりました (2023.10.9)

 アレクシェービッチ・スベトラーナはこう言う。

 チェルノブイリ事故は大惨事以上のものです。よく知られた大惨事とチェルノブイリとを同列に置こうとしても、それではチェルノブイリの意味が分からなくなります。‥‥ここでは過去の経験はまったく役に立たない、チェルノブイリ以後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも、人々はこのことを考えたがらない。(今まで)こんなことを一度も深く考えたことがないからです。不意打ちを食らったからです‥‥

何かが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似た出来事も、体験も持たない。私たちの視力、聴力もそれについていけない。私たちの言葉(語彙)ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、そのどれも不可能。チェルノブイリを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史が始まったのです(「チェルノブイリの祈り」31頁)。

 彼女の「チェルノブイリの祈り」の冒頭に登場する消防士の妻リュドミラと7年ぶりに再会したアレクシェービッチが交わした会話。リュドミラは事故から2年後に再婚し、男の子を出産した。

あれだけのことがあったんですもの。私はもう健康な子は産めないと思っていました」
「それでもあなたは産もうと思ったのね?」
「もちろんです。これは私にとっての十字架なんです


リュドミラの両親のもとで暮らす息子トーリャに会いに行った
アレクシェービッチが彼と交わした会話。

あなたがママと住んでいたキエフのアパートは、原発の近くから来た人が多いのね?」
「七階のインナおばさんは、僕たちの部屋によく来ます。チェルノブイリで働いていた旦那さんを亡くして寂しいんです。五階のコースチャおじさんは、たくさんの病気を抱えています。働くことができないので年金しかもらえません。たくさんの人が亡くなってゆくのを見ました」
「あなたはあの事故の後に生まれたのに、そんな中に住んでいるのね。多くの人や若い人も死んであなたは怖くない?」
「もちろん怖いです。でも原因が分かる死です。
逃げ場はありません。
逃げ込める場所などどこにもないんです


 アレクシェービッチ・スベトラーナは言う。

農民は自然とともに生きています。
そこで私は何を見つけたでしょう。

学者や政治家 軍人は放心状態でしたが、
村の老人たちの世界観は崩れませんでした。

人々は哲学者になりました。

誰もが不可解な現実を前に
一対一で向き合うことになったから。

私たちが経験してきた恐怖は
戦争に関することばかり

でも ここでえは木々が青々と茂り
鳥たちも飛び回っていました。

しかし 死がそこにあることを 人間は感じました。
目に見えない 音も聞こえない 新しい顔をした死

私は思いました。
「これは戦争だ。未来の戦争はこんなふうに始まる。
でも、これは前代未聞の新しい戦争だ」

第4話 原発事故は犯罪である。どちらもアンダーコントロールという大見得を切った。(2023.10.9)

その1
アレクシェービッチ・スベトラーナはこう言う。

チェルノブイリの話になると、私たちの国では

全てアンダーコントロールと言った訳です。

でも、コントロールとは何か 誰も知らなかった。

炉が消火されても 現地の関係者は言っていました。

「中で何が起きているかは分からない」 

フクシマも同じ状況ではないかと思います。

その2
彼女の指摘は的中した。福島原発事故のあと、安倍首相は、2013年9月、東京五輪招致に向けた国際オリンピック委員会(JOC)総会の場でこうスピーチした(→動画)。

福島の状況について、心配する方々に私が保証する。福島の状況はアンダーコントロールだ、と。

 しかし、実は彼もまたコントロールとは何か 本当は知らなかった。
なぜなら、一時は吉田福一所長をして東日本壊滅を覚悟させた2号機の危機一髪、これが回避されたあとも、なぜ回避されたのか、そこで
何が起きていたのか、未だに誰も分からないから。 アンダーコントロールもへったくれもない。

 

第3話 原発事故は前代未聞の新しい戦争だ。だから市民立法のエッセンスはパルチザンの理論の中に埋め込まれている。(2023.10.9)

 アレクシェービッチ・スベトラーナはこう言う。

チェルノブイリに関する新聞記事ではいつも戦争用語が使われました。
爆発 英雄 兵士 避難
事故処理に投入されたのも軍隊でした。
しかし、核兵器への備えはあっても平和な原子力への備えはありませんでした。
或る兵士は彼女にこう言った。
「俺たちはいったい何をしてるんだ。今までの訓練なんか全く無意味だ」。ここでは最新兵器も役に立たず、兵士は生身でヘリコプターから降下するしかなかった。
チェルノブイリ事故で、人々は死がそこにあることを感じました。目に見えない、音も聞こえない、新しい顔をした死を。私は思いました、「これは戦争だ。未来の戦争はこんなふうに始まる。でもこれは前代未聞の新しい戦争だ」と。

原発事故とは見えない戦争。それも見えない核戦争。

そこで、原発事故の災害から人々を救済する日本版は、この見えない戦争との闘いとなる。それも市民による闘い。

だから、市民立法とは専門家でない市民による市民戦争のこと。

それは、 たとえて言うと、非正規軍による市民戦争=パルチザンのこと。

この意味で、政治における非職業的政治家である市民主導の市民立法のエッセンスは、軍事における非正規軍である市民主導のパルチザンの理論の中に埋め込まれている。

この対比がなぜ重要かというと、第1に、今なお、多くの市民は市民主導の市民立法に対して、「そんなだいそれた事が可能なのか」と職業的政治家に対するコンプレックスーーそれは長い時間をかけて刷り込まれたマインドコントロールの1つーーの中にあるから。

第2に、これが幻想であることを、非正規軍である市民主導のパルチザンの実例から学ぶことができるから。

例えば、 パルチザンの新しさを考察した文献として、カール・シュミットの「パルチザンの理論

 フランス革命までの王朝間の戦争を、傭兵を用い、「在来的な敵」を相手どって行なうゲームとすれば、ナポレオン軍に対抗したスペインのパルチザンは、史上初めて相手を、自らの実存を脅かす「現実の敵」と認識した。19世紀までのヨーロッパ公法は、主権国家と「正しい敵」(この「在来的な敵」と「現実の敵」)概念によって秩序づけられていた。20世紀はこの崩壊を目の当たりにする。一方、19世紀初頭以来萌芽状態にあったパルチザンは、レーニンと毛沢東によって革命と戦争の主役に躍り出るとともに、敵概念にも決定的変化をもたらした。
ちくま書房の解説より)

 

第2話 一度目の名づけが80年前の「ジェノサイド」、二度目の名づけが50年前の「ニクソンサイド」。だとしたら三度目の名づけは「フクシマサイド」(2023.10.9)

この世で最も大切なことの1つが「名づけ」。それも「正しい」名づけ。

この正しい「名づけ」をめぐって一つの物語が書かれた。それが「はてしない物語」の前半。

アトレーユから「自身と国の健康を取り戻す方法がなぜ新しい名を得ることでしか叶えられないのですか」と尋ねられた際、ファンタージエン国の女王である幼ごころの君は次のように答えた。
「正しい名だけが、すべての生きものや事柄をほんとうのものにすることができるのです。……誤った名は、すべてをほんとうでないものにしてしまいます。それこそ虚偽(いつわり)の仕業なのですよ。」

この名づけの必要性を痛感した一人がアレクシェービッチ・スベトラーナ。
彼女はこう言う。

私はチェルノブイリに向かいました。そこで見たものに 私は憟然としました。
放射能は見えず 無臭で 触れることも聞くことも出来ず
耳も 鼻も 指も 役に立ちませんでした。
新しい言葉が必要でしたが
それもありませんでした。


この「名づけ」の最も偉大な実例が「ジェノサイド」。ユダヤ系ポーランド人の法律家ラファエル・レムキンが1944年に初めて造語として使った。

それは国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」(genocide)という新しい言葉を造語したもの。レムキン自身、それまでにナチスによって家族や親族49人が殺害された。しかし、彼がこの名づけを思いついたのは、チャーチル英首相がラジオ放送演説で「我々は名前の無い犯罪に直面している」と語ったことによる。「名前の無い犯罪」に名づけをする必要があることを確信させたのだ。

 ただし、その後、ジェノサイド」はその意味が拡張されて、次のように定義されている。

1948年、国際連合で採択されたジェノサイド条約の第2条で、
(1)、国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行なわれる、
(2)、次のいずれかの行為。
    ①集団構成員を殺すこと
    ②集団構成員に対して、重大な肉体的又は精神的な危害を加えること
    ③集団に対して故意に、全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を課すること
    ④集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること
    ⑤集団の児童を、他の集団に強制的に移すこと

もし、これが「ジェノサイド」の意味なら、福島原発事故のあとの日本政府が取った文科省20mSv通知も、SPEEDI情報の隠蔽も、安定ヨウ素剤の配布ボイコットも、福島県内の子どもたちの集団避難ボイコットも、いずれもジェノサイド」に該当する(上記の(2)②または③)。

その意味で、これらは福島原発事故のあと出現した「ジェノサイド」を「 フクシマサイド」と名づけることができる。

かつて、チリの詩人パブロ・ネルーダは、ニクソン大統領のベトナム侵略戦争を評して、「ニクソンサイド」と名づけたした。

その志は、次のまえがきに溢れんばかりの熱情をもって示されている。

ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌──まえがきhttp://oshimahakkou.blog44.fc2.com/blog-entry-1805.html

 


第1話 ここに私は独りで立っているのではない。私のうしろには声、たくさんの声がある。(2023.10.9)

このブックレットは、私独りが書いているのではない。
私のうしろには声、たくさんの声がある。
私は、その声の代弁者、メディアである。

日本版の運動は、日本版のメンバーがやっているのではない。
メンバーのうしろには声、たくさんの声がある。
メンバーは、その声の代弁者、メディアである。


◆アレクシェービッチ・スベトラーナさんの受賞講演より

フローベルは自分を「ペン」だと言いました。私は自分を「耳」だと申し上げましょう。

私はこの演壇に独りで立っているのではありません。

私の周りには声、たくさんの声があるのです。

その人たちはいつも私と一緒なのです。

私が耳を澄ますのは心の歴史、暮しの中にある魂です。

第2章:「人権」を取り戻すための「チェルノブイリ法日本版」

放射能災害に対する対策は完全に「ノールール」状態 311後、福島原発事故で甚大な「人権」が侵害されているにも関わらず、これを正面から救済する人権保障の法律も政策もないという異常事態にあります。第1章で述べましたが、「人権」とは、命、健康、暮らしを守る権利のことです。 国や福島県は...