ブックレット「私たちは見ている」に書かれた人権について、その編者である私はどう考えているのか。
普通であれば、理想を追求する理想主義と現実だけを追及する現実主義のどちらなのか、と問いかけるだろう。それに対しては、私はどちらでもないと答える。ならば何なのか、という問いに対しては、私は「もうひとつの理想主義&現実主義」と答える。以下はその答えの意味とその理由についてである。
「もうひとつの理想主義&現実主義」とは現実主義的でありながら、なおかつ同時に理想主義を追求するあり方という意味。
ブックレットに掲げた「政治・政策から人権へのシフト」という立場は決して、単なる理想でもイデオロギーでもない。つまり、人権を語るとき、それは単なる理想でもイデオロギーでもなく、実在する或る力として語っている。
しかし、理想主義やイデオロギー主義に染まっている人にはそれがなかなか理解されない。同時に、理想主義やイデオロギー主義に反対する現実主義のリアル・ポリティックスの立場の人にもそのことはなかなか理解されない。
人権は人類の政治の歴史の中で、最初は小さなともし火のような存在だったのが、様々な試練の中で、「long
and winding
road」の道程を辿りながら、そのともし火は消滅するどころか、じわじわとその勢いを強め、現実の政治を動かす力のひとつとして成長してきた。つまり、政治を動かすものとして様々な力(当初は暴力の力、金の力が最強のように思われていたが、しかし、だんだん、それ以外にも科学の力=真理の力、美の力、愛の力、そして人権の力などが少しずつ成長してきた)が存在するが、そのひとつとして人権は、紛れもなく客観的に存在するものなのだ。だから、政治をリアルに客観的に捉えるリアル・ポリティックスの立場に立ったとしても、そこでは人権の力を冷静に正当に認識することが必要である。リアル・ポリティックスの立場から「理想主義者・イデオロギー主義者が人権を万能のもの、人権至上主義的に主張するのをおかしい」と批判するのはそれなりに当たっているとしても、だからといって、「人権の力なぞ客観的に存在しない幻想にすぎない」として葬り去るのはぜんぜんリアルで(科学的でも客観的でも)なく、リアル・ポリティックスの名に反する。
あくまでもリアル・ポリティックスに立つんだったら、まさに、人類の歴史が形成してきた「人権の力」を冷静に正当に認識すべきである。
それがブックレットのスタンス。
そのことを、リアル・ポリティックスの代名詞みたいにされているキッシンジャーのような権力者たちではなく、リアル・ポリティックスの考えに深く影響されている市民運動の人たちに対して訴えたいと思い、訴える必要があると思った。それはブックレットばかりではなく、日本の市民運動にとって、とても重要なポイントだからである。
0 件のコメント:
コメントを投稿