2024年6月16日日曜日

第2章:「人権」を取り戻すための「チェルノブイリ法日本版」

放射能災害に対する対策は完全に「ノールール」状態

311後、福島原発事故で甚大な「人権」が侵害されているにも関わらず、これを正面から救済する人権保障の法律も政策もないという異常事態にあります。第1章で述べましたが、「人権」とは、命、健康、暮らしを守る権利のことです。

国や福島県は、311後、一人ひとりの被災者の立場に立って「原発事故の被災者の真の救済はいかにあるべきか」というビジョンを示すことができませんでした。それは、311前の日本の法律の内容と思想には大きな欠落があったからです。

「放射能災害というものは起きない」という安全神話を盲信していて、対策はやったとしてもなおざりの儀礼的なものにとどまっていました。本当の意味の原発事故被害対策は完全に没却されていたのです。法律の体系は、放射能災害に対する対策は完全に「ノールール(無法)」状態にあったのです。法律用語で「法の欠缺(けんけつ)」と言います。

その法の思想に関しても、放射能災害以外の、地震や津波の災害における基本理念というのは、被害者は政府の保護や救助の対象として捉えていました。被害者を「人権」の主体として捉えてきませんでした。。つまり人権思想が不在であったことが、311前の大きな特徴です。

問題は、311後にどうなったかということですが、これもまったく変わらなかったと言えます。原発事故が起きてしまった後に国がやったことは、災害救助法の時の理念と同じでした。2012年に全会一致の議員立法で制定された「原発事故子ども被災者支援法」では、原発事故被害者をあくまでも国家の保護・救助の対象として、彼らに対して指示や命令や勧奨等に従うことを求めました。住宅やお金が提供された市民は黙ってありがたく受け取るだけの施しお恵みの対象で、決して「人権」の主体としては扱われませんでした。例え不満であっても従うしかありません。そこは311前と同様なのです。

さらに、「原発事故子ども被災者支援法」では、基本理念で、居住・移住・帰還いずれの選択でも支援し、健康不安の解消に努めるとしました。けれども理念のみが書かれているだけで、具体的な政策の決定を行政府に委ねる法律であったため、役人の手によって日の目を見ないまま廃止同然となりました。

「311後の復興」を願うのであれば、それは、何よりもまず、「チェルノブイリ法日本版」を実現することで、「人権」を取り戻すことが第一です。私たちは、過去に前例のないほどの深刻な人権問題に直面しているのです。


被災者の「人権」を法に定めると国家に責任と義務が生じる


ひとたび被災者の立場を「人権」の主体としてとらえた場合には、事態が一変します。なぜなら「人権」が認められるとき、そこに発生するのは、その権利を守らなければならないというのは国の「法的義務」だからです。市民の「人権」を侵害しない、させないというのが、「人権」に対する国の義務です。ですからお金の給付とか住宅の提供を打ち切る場合も、それが「人権」の侵害にならないかが、厳しく問われることになります。

200年以上前の史上初の人権宣言=ヴァージニア憲法の原点なのですが、同憲法には「政府というものは本来市民の利益のために作られて、それに反する政府は改良し変革しまたは廃止するというのが市民の権利である」とはっきり謳われています。「人権」の主体として認められたときには、市民にこのような権利が発生します。

なぜ「原発事故子ども被災者支援法」では、こういうことが謳われなかったのか。それこそが政府にとっては市民に渡すわけにはいかない権利だったわけで、「権利」の字句は一言も書かれていないのです。同法を作るにあたり、どうしても「権利」という言葉を組み込むことが出来なかったと言われています。

もう少しお話をすると、「原発事故子ども被災者支援法」では、2条の基本理念をはじめとして、この法律には「義務」という言葉もどこにも登場しません。確に3条には「責任」が登場しますが、この法律は、責任が「法的義務」と同じ意味を持つ「法的責任」と取られないように、わざわざ「社会的責任」、つまり「法的責任」ではないことを明記しています。先に述べたように、「原発事故子ども被災者支援法」は、原発事故の救済を国の施策(行政機関の裁量)に全面的に任せました。これでは、被災者は永遠に救済されないと考えます。

これに対して、「チェルノブイリ法日本版」の意義は「人権の本質・原点に立ち返って放射能災害における被災者の救済を再定義する」ということにあります。つまり、原発事故の救済の具体的内容を法律で定め、国は法律の定めた内容通り実行することを義務付けています。基準さえ満たせば、政府の役人に裁量の余地を認めず、全面一律に救済を認めた具体法なのです。

「原発事故子ども被災者支援法」は、「チェルノブイリ法日本版」から乖離しすぎていて、「法の実行」をしても力になりませんし、法の改正は実質的に新法を作るのと同じことです。ならば、私たちにできるのは第4章で紹介する「市民立法」によって、新法を制定することこそ、現実的な道ではないでしょうか。


「人権」は一瞬たりとも途切れることがない

もともと「人権」というのは「日本国民である」とか「福島県民である」とか「ナントカである」ということに基づいて認められる権利ではありません。ただ人であることだけに基づいています。人は唯一無二の存在であるという個人の尊重の理念に立脚したものです。

そして、「人権」は私たちが発見して初めて見出すことができるものと言えます。それは市民運動のためのスローガンでも、道具でも、手段でもない。「人権」自体が、市民運動の目的であり、ゴールである。と同時に、本来、「人権」は市民運動の中にすでに存在しています。

「人権」は、歴史的にはアメリカ革命(アメリカの独立戦争)で出現して、その後普遍的なものとして承認されてきた人類至高の権利です。私たちは、ここに立ち戻って、放射能災害における被災者の救済を再定義しようと提起しています。

「人権」がある場合には、「人権」を侵害しないこと、「人権」の保障を実行すること、 これが国家の唯一の義務になります。しかも「人権」はオギャーと生まれたときから死ぬまで、「切れ目なく、一瞬たりとも途切れることなく」保障される権利です。


国際人権法・社会権規約を直接適用する


「チェルノブイリ法日本版」は「国際人権法」の基本原理を具体化したものです。原発事故の危険は国境なき災害であり、その救済も国境なき救済として、「国際人権法」の課題として取り組む必要があります。

これまで「人権」というと、「今ここで即時に」達成が可能な自由権か、それとも国は政策を推進する政治的責任を負うにとどまる社会権かのいずれかでした。しかし、1966年に制定された国際人権法・社会権規約の採択では、「もうひとつの社会権」として、新しい権利概念の導入がありました。

それは、国の経済力や資源などの客観的条件を踏まえ、権利の完全な実現にむけて「斬新的に達成するため」、利用可能な資源を最大限に用いて、立法その他で適切な「措置を取る」ことを法的な責任として認めました。義務性急に権利の実現を図ろうとして失敗した過去の歴史的経験を反省し、私たちの身の丈にあったプロセスを提案したものと言えます。

「チェルノブイリ法日本版」において、ゴールは被災者の命、身体、暮らしの保障です。ただし、そこに至る具体的な取り組みはゴールの実現に向けて、「斬新的」に達成するように、目の前の小さな取り組みを丁寧に、かつ熱心しに取り組むというプロセスです。

この考え方の根底にある理念こそが、民主主義と言えます。制度=ゴールと考え、「制度ができたら、はい、おしまい」と考えるのではなく、民主主義にはゴールはない、あるのは不断に努力し改善していく無限のプロセスだという考え方です。これは丸山真男氏が唱える「永久革命としての民主主義」に共鳴するもので、斬新的達成を永続的に目指す社会権と言えます。

この規約に照らせば、経済力のある日本では、ただちに被災者の「避難の権利」「移住の権利」さらに「健康に暮らす権利」が認められなければならないことになります。

国際人権法による避難者の人権保障で、この章の冒頭で述べた法律体系の「ノールール(無法)」状態を克服したら、「チェルノブイリ法日本版」が見つかることを、国も「確認」しろという多くの市民の声が高まれば、これはもう無視できなくなるでしょう。最後の決め手は「市民主導の世論喚起」なのです。


国際人権法にある「人民の自決の権利」

さらに、もう一つ大切なのは、国際人権法の二大柱の一つ社会権規約の第一条には「人民の自決の権利」が謳われていることです。

第1条【人民の自決の権利】

すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する。

そして、この「個人の自決権」は、日本国憲法の柱である「国民主権」につながります。311後、市民が各自、放射能の危険から避難するかどうかを決定する行為を基礎付けるのに「個人の自決権」という原理が有力でしたが、この行為は同時に「国民主権」という原理からも基礎づけられるものだからです。

「個人の自決権」とは、「自分の生き方、身の処し方、暮らし方は自分自身の選択で決定することができ、その選択に他人や権力が介入することは許されない」というものです。そこで、「自分の生き方」とは自分自身の生き方であるのは当然ですが、それにとどまらず、その範囲が広がって、自分の家庭の生き方、自分の住む地域の生き方、自分の住む国の生き方も、同様に自己決定して決めていくものであることを含んでいます。

もっとも、そこでは、同じく自己決定権を有する対等な他者との合意に基づき、その集団の決定をしていく必要があるため、否応なしにその意見調整が必要になってきますが、原理はあくまでも、そこに参加する個々人の自己決定を基礎にして、その団体の意思が決定されると考えることができます。それが個人の自己決定権を基礎にした「市民の自己統治」であり、これが国レベルでいうと「国民主権」ということになります。

「国民主権」に基づいて、国民からの信託により政治を担当している国や県の役人は、避難という重大な問題で「自己決定」に迫られた市民に対し、彼らに最も納得のいく、最も適切な自己決定が出来るように、必要かつ適切な情報を可能な限り提供する義務を負っていました。

これは言い換えれば、311直後の時点で、国や県の役人が市民に説明責任を負っていたということです。しかし、現実には、311直後は言うに及ばず、その後も今日現在まで終始一貫して、国や県の役人は市民に負っている説明責任をまったく果そうとしていません。従って、説明責任を果す上で必要な情報提供も行わず、その結果、私たち市民は、311直後も、そして現在でも、放射能問題に対する「自己決定」を下すことが困難であり、ずっと「自決の権利」を奪われたままでいるのです。「自決の権利」を奪われたままでいるということは、「国民主権」の主権者の地位をずうっと奪われたままでいるということです。


国際人権法が311後の日本社会を変える



2023年10月25日、最高裁判所大法廷はとても大切な決定をしました。トランスジェンダーの法律上の性別認定の条件として断種手術を課す国内法を違憲と判断。この決定の根拠として、 「国際人権法」に反しているとしたと明言したのです。

もともと法律には「下位の法令は上位の法令に従い、これに適合する必要がある」という掟があります。例えば、交通規制の法律で「車は左側通行」と決めたら、その下位の法令は全てこれに従って定めらます。それが守られなかったら法体系は秩序が保たれず、機能しない。当然の掟です。

先に述べた出た最高裁大法廷の決定もこの当然の掟に従ったまでのことです。今回、法律の上位の法令として「国際人権法」があることを正面から認めただけです。日本で国際人権法が法律の上位の法令であることを、今さら言うまでもないことですが、この当たり前のことを、今回やっと初めて認めたのです。(この掟のことを序列論あるいは上位規範(国際人権法)適合解釈と言います。)

重要なことは、最高裁がこの大法廷決定で使ってしまったカード、「日本の法令は国際人権法に適合するように解釈しなければならない」ということ、この原理の適用は性同一性の法令と事件だけにとどまらないということです。

法規範は普遍的な性格を持ち、それゆえ、この上位規範(国際人権法)適合解釈という原理は、それ以外の法令にも、またそれ以外の事件にも適用される。その結果、どういうことになるか。

第1に、この原理により、日本のあらゆる法令が国際人権法の観点から再解釈されることになる。これを本気で検討したらどういうことになるか。それまで鎖国状態の中にあった日本の法令は、幕末の黒船到来以来の「文明開化」に負けない「国際人権法化」にさらされ、すっかり塗り替えられることになります。

第2に、この原理は福島原発事故関連のすべての裁判に適用されることになります。これを本気で検討したらどういうことになるか。その時、福島原発事故関連のすべての裁判のこれまでの判決はみんなひっくり返る可能性があります。


欠缺の補充を上位規範である憲法や国際人権法に基づいて、これらに適合するように補充する必要があり、もしこれを承認するのであれば、欠缺の補充の結果、国際連合人権委員会(当時)が定めた「国内避難に関する指導原則」等に示された被災者の人権保障によって、日本の法体系は全面的に補充されることになります。この全面的に補充された法規範、これをトータルに示したのが、他ならぬ「チェルノブイリ法日本版」なのです。




2024年3月15日金曜日

第3章:私たちのビジョンー 「チェルノブイリ法日本版」は日本社会に何をもたらすのかーー

理不尽に屈しない

「チェルノブイリ法日本版」は、単なるユートピアとして構想しているわけではありません。むしろその反対で、福島原発事故で赤裸々に命の脅威にさらされた被災者に対して理不尽としか言いようのない政府の政策、措置に対して「それはおかしいんじゃないですか」という抵抗の中で構想してきたのが「チェルノブイリ法日本版」です。

この政府の政策の筆頭が文科省のいわゆる20ミリシーベルト通知。原発事故から一ヶ月後の2011年4月、文科省は、福島県の子どもたちの集団避難を実施するのではなくて、福島県内の学校に限って、放射線の安全基準を20倍に引き上げました。その結果、福島県の子どもたちの集団避難はなくなりました。福島県の子どもたちだけ2011年3月以降、放射線に対する感受性が20倍下がったから、これしか文科省通知の正当性は説明できません。私たちはこの理不尽な政策を忘れることができません(第1章参照)

同年6月に、福島県郡山市の子ども14人が郡山市を相手に、せめて、一般市民(大人)の防護基準とされている年間1ミリシーベルト以下の環境で子どもの教育を実施せよを求めて緊急の申立てを行った裁判(ふくしま集団疎開裁判)で、2013年4月に仙台高等裁判所は、子どもたちの申立てを却下する決定を下しました。決定の中で「福島の子どもたちは危ない。避難するしか手段はない」と認定したのに、結論として「被告郡山市に子どもたちを避難させる義務はない」と訴えを退けたのです。せめて大人並みの防護基準の環境で教育を実施して欲しいという子どもたちの願いは司法により蹴散らされてしまいました。 私たちはこの理不尽な裁判所の決定を忘れることができません。

2015年6月、福島県の内堀知事は、福島原発事故の自主避難者が避難先として身を寄せる仮設住宅の無償支援を2017年3月末をもって打ち切ると、自主避難者の意見も聞かずに決めました。そして、2020年3月、福島県は、その後も仮設住宅に身を寄せる自主避難者に退去を求めて提訴しました。

この提訴に対して、国連人権理事会から任命されたセシリア・ヒメネス=ダマリー国連特別報告者は、2022年、「避難者(国内避難民)への人権侵害になりかねない」と警鐘を鳴らしました。国際世論を代弁するこの警告は「福島県の提訴は国際人権法が国内避難民に保障する居住の権利を侵害するものであり、許されない」という被告避難者の主張と軌を一にするものですが、福島県はものともしません。私たちはこの理不尽な福島県の提訴と振舞いを忘れることができません。

「チェルノブイリ法日本版」がほかの原発事故の救済法に対し際立っているのは、「チェルノブイリ法日本版」が上に述べたような政府の理不尽な政策、措置に対して、明確にノーと表明していること、その非人道性を全面的に否定し、原発事故で脅かされた被災者の人権を断固として擁護する姿勢を明確に表明していることです。そして第4章で述べるように、市民主導による立法という直接民主主義を通じて、人権保障を実現していきたいと考えています。

自分のいのちの主人公になる

人間にとって最も貴いことは「個人の尊厳」です。それは、自分が「自分のいのちの主人公になる」ことです。その時、自分を人間として扱わない社会の不正義に対して、「私を人間として扱え」という声が自然と湧き上がってきます。それが「人権」の出発であり、それがまた放射能災害における「人権」を保障する「チェルノブイリ法日本版」の出発でもあります。言い換えると、この「チェルノブイリ法日本版」が想定している市民というのは「個人の尊厳」が尊重された市民、すなわち自分が「自分のいのちの主人公になる」ことを決意し、実行しようとする人たちのことなのです。同時にそれは、国民主権を宣言した憲法が主権者である私たちに託していることなのです。つまり、国民主権からすれば、政治の決定において、市民が主人公となるだけではなく、各人の命の営みにおいても、市民が主人公になるのが当然である、と。だから、放射能災害から市民の命をどうやって守っていくか、という問題の決定も、本来は、主人公である私たち市民の中から決定していくものなのです。福島県知事が、当事者である自主避難者の声も聞かずに、仮設住宅の無償支援の打切りを一方的に決定したことが憲法の国民主権の基本原理をいかに踏みにじるものか、一目瞭然です。

「人権」は、人がただ人であることにのみ基いて認められた権利です。おぎゃあと生まれてから亡くなるまでの間、切れ目なく認められるのが人権です。災害が発生したからといって中断されることはありません。そこからすると、不思議なことに日本の法律には災害における「人権」という発想がありません。その結果、福島原発事故直後、長崎から福島入りした山下俊一氏のような人が、講演で市民に向けて堂々と「国の指針が出た段階では国の指針に従うと、国民の義務だと思います」と表明したのは日本の法律に災害における「人権」を定めていないからできたことです。けれど既に半世紀前、東京都の公害防止条例(1969年)は前文ではっきりと「人権」を謳っていたのです。「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有する」―これをモデルにして、「チェルノブイリ法日本版」の前文も作られています。(第6章の条例案前文を参照)

「チェルノブイリ法日本版」条例案 前文

○○(自治体名を入れる)市民は、全世界の市民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに健やかに生存する権利を有することを確認し、なにびとといえども、原子力発電所事故に代表される放射能災害から命と健康と暮らしが保障される権利をあることをここに宣言し、この条例を制定する。

「チェルノブイリ法日本版」は、上に述べた「人権」の本質の帰結として、原発事故が発生したからといって、被災者は一瞬たりとも「人権」を喪失することがないこと、国家も人権保障を実行する義務を一瞬たりとも免れないことを確認したものです。本条例の前文は放射能災害に対する日本で最初の人権宣言でもあるのです。

「チェルノブイリ法日本版」を、強制避難区域の人たちに対する救済制度のように、国の避難指示に従った人たちが、「国や自治体から施し物を受ける」制度と考えている人がいるかもしれません。しかし、「チェルノブイリ法日本版」は、決してそのような施し物の制度ではありません。「チェルノブイリ法日本版」は、この国に救済制度の根本的な精神である「市民とは国の命令に従う見返りとして国から有難い施しを受けるという受け身の存在である」ことを根本から否定します。

「チェルノブイリ法日本版」は、放射能災害に遭遇した市民が、自分の命、健康、暮らしの再建のために避難し、移住すると自分で決めた時に、手にすることができる援助や利用できる制度を具体的にまとめたものです。人間らしい生活を実現するために、何をするかをまず自ら自己決定し、その上で、その実現に必要な援助を国に要求する主体的、能動的な存在であることを宣言するものです。

まず「逃げる」こと

放射能災害に遭遇した市民にとって「人権」の最初の一歩は、「逃げる」ことです。「逃げる」ことは、自分で自分の命、健康、暮らしを守るために自己決定した結果、言い換えれば、自分が「自分のいのちの主人公」になることを決断した結果だからです。

日本では逃げることはとかく卑怯だとか、非国民だとかネガティブな評価が幅を聞かせています。でも世界は違います。ドイツの作家ミヒャエル・エンデは「はてしない物語で」を例にあげてこう語っています。

「はてしない物語」でたいせつなのはね、バスチアンの心の成長のプロセスなんだ。彼はとにかくまず、自分の問題と対決することを学ばなくてはならない。彼は逃げ出す。けれども逃げることは必要なんだ。なにしろ、逃げることによって彼は変わるんだし、自分というものを新しく意識するようになる。そのおかげで、世界いうものに取り組めるようになる。
                               ミヒャエル・エンデほか「オリーブの森で語りあう」
            
いかなる環境においても、その中でどのような生き方を選択するかは、第一義的に当事者である市民が自己決定することであり、この自己決定に基づいて作られた法律が「チェルノブイリ法日本版」なのです。

そこで原発事故が発生したら、人々が放射能という「見えない、臭わない、味もしない」毒から逃げて、初期被ばくを避けようとするのは極めて真っ当なことです。そこで、人々がそのような避難行為を全うできるように、事故直後に緊急避難としての「避難の権利」を保障しています(第6章の条例案14条を参照)。これはチェルノブイリ事故から5年後に制定されたチェルノブイリ法にはない、「チェルノブイリ法日本版」に特有の、しかも本来の放射能災害からの救済にとって不可欠の最も重要な人権保障です。

現代の科学技術の水準では、ひとたび原発事故が発生したら放射性物質の封じ込めは不可能です。なおかつ人間の身体は放射線には勝てません。この現状認識から導かれる結論は、ひとたび原発事故が発生した場合、最善の救助策は人びとを原発から拡散した放射性物質から遠ざけることつまり「逃げる」しかないのです。

そこで、避難の具体的な第一歩は、事故直後に、原発から拡散した放射性物質に被ばくしないためにどの方向に向かって避難するのがベストか、これを知ることです。命、健康、暮らしの保障のため、とにかく安全な地点まで、命、健康を損なうことなく、避難することです。

チェルノブイリ事故では、政府は周辺住民に汚染状況を知らせなかったのですが、事故から3年後に汚染地図が公開され、そこで、多くの周辺住民が避難した北東部(ゴメリ地区)が避難元よりも高濃度に汚染されていたことがわかったのです。それを知った人々の怒りが、チェルノブイリ法の制定につながったといいます。

福島原発事故でも、この悲劇は繰り返されました。事故直後の3月12〜15日に、浪江町の住民らが北西部に向かって一生懸命避難したとき、まさにその方向に高濃度のプルームが原発から放出されていたのでした。取り返しのつかない初期被ばくを余儀なくされたのです。しかし、それは避けられた人災でした。

日本政府は、いちおう原発事故を想定した対策を立てていましたが、いざ福島原発事故が発生すると原発周辺に設置されたモニタリングポストの多くが作動しませんでした。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)で計算された情報も速やかに提供されませんでした。さらに、事故発生直後に、福島原発から5キロの地点(大熊町)に、現地対策本部として指揮をとるオフサイトセンター(原子力災害対策センター)を設置しましたが、4日後に現地から撤退し、機能しませんでした。2024年元旦の能登半島地震においても、志賀原発のモニタリングポストのシステムは機能せず、測定不可になりました。

このように、初期被ばくを避けるために必要な措置とシステムは行政の手にあり、その結果、住民は本来、避けられた無用な被ばくをさせられた。こうした痛恨の経験から、原発事故発生直後の放射能汚染状況を市民が自ら測定し、これを踏まえて正しく避難、対処する必要性があります。原発事故になれば行政は機能不全に陥る、それが過去の教訓です。

「チェルノブイリ法日本版」の実現に向けて、私たちは事故直後の汚染状況を市民が正しく知るために、行政のモニタリングポストに代わる、「市民放射能測定システム」の構築を提案します。(大庭さん)

<実践への手引き> 自分で放射能を測って、データを蓄積する
福島原発事故をきっかけに日本中に誕生した市民主導の放射能測定所と連携すれば、そうした測定所が「チェルノブイリ法日本版」のベース基地になることができます。あなたのスマートフォンに接続できる放射能センサーがあれば、あなた自身が簡単に放射能を測定することもできます。

スマートフォン接続型の放射能センサーに関する情報ウェブサイト    
http://www.radiation-watch.org/p/support.html

その後ある程度落ち着いた段階で、今度は恒久的な避難をするかしないかをめぐって、恒久的な避難を決定した市民にこれが全うできるように「移住の権利」を保障しています(第6章の条例案11条を参照)。「チェルノブイリ法日本版」は、一つの権利を定めた法ではなく、様々な権利が集合し、まとめられた総合法で、「避難・移住の権利」の中心として、その周辺に、住民の命、健康、暮らしを守るために必要かつ十分な以下の様々な権利を束ねて構築していきます。

    • 情報の開示請求権
    • 放射性廃棄物に関する権利
    • 人体・環境の放射能測定に関する権利
    • 食の安全に関する権利
    • 健康診断に関する権利
    • 生活の自主的再建の権利


図3.1 「チェルノブイリ法日本版」が保障する「人権」

「チェルノブイリ法日本版」は、事故直後であっても、その後のある程度落ち着いた時点であっても、とにかく放射性物質から人びとが避難すること、これを基本として、なおかつこれを「人権」として保障していきます。

<実践への手引き>『安定ヨウ素剤を備えること』

ここに、Chapter 3 _Dr Ushiyama's note(牛山医師)を挿入する。 


人権実現型&市民参加型の公共事業を創設する


上記の「人権」を実現するために、「チェルノブイリ法日本版」は必要な具体的な措置を講じていきます。その様々な措置を実現するためには、様々な形で、住民、市民が協力、支援、応援が不可欠となります。これだけの一大事業を一握りの専門家に解決策を委ね、実行を任せるという従来の行政主導型の公共事業では問題解決は困難です。社会的な問題はなんでもかんでも国におんぶに抱っこというやり方が通用しないことはチェルノブイリ事故や福島原発事故の経験から明らかです。

そこで私たちは、市民が主導する新しいスタイルの公共事業を提案します。汚染地から避難する人々の、避難先での新しい人間関係、新しい生活、新しい仕事、新しい雇用を作り出していく、市民参加型の公共事業です。市民は国難に対して、相互扶助の精神で協力する責任を負います。

原発事故という国難に対し、文字通り、オールジャパンで市民が参加して、避難者と一緒になって「避難・移住の権利」という人権の実現プロジェクトを遂行すること。そして、避難者の避難先での経済的自立の道筋として、各自の自助努力(新自由主義)でも、国への全面的な依存(福祉国家)でもない第三の道として、相互扶助の協同組合のスタイルを提案します。

「住民が経済的に自立する」という目標をただのうたい文句ではなく、生きたカタチにした1つが、「みんなで働き(協同労働)、みんなで運営する(協同経営)」という協同組合です。「人はバラバラでは外敵に対し孤立・無力だが、連帯したときは負けない」という単純な真理を経済活動に応用していきます。

原発事故が突きつけた問題「経済的自立の困難と人間的孤独の継続」を解決する「経済的自立とコミュニティ回復」という経済的救済、これをカタチにする、もう一つの経済復興は可能なのです。そのモデルはスペインのモンドラゴンの挑戦です。

モンドラゴンとは、1930年代のスペイン内戦で敗北し、荒廃し、見放されたスペイン・バスク地方の寒村モンドラゴンで、28歳の神父ホセ・マリーア・アリスメンディアリエタたちが始めた経済再建のための協同組合でした。最近の年次報告書などによると、81の協同組合、8つの財団、一つの投資信託、12の研究開発センターを所有するグループであり、金融、産業、流通、知識の4分野で、7万人を雇用。5大陸に拠点をおき、2022年会計年度の売上高は 106億 700 万ユーロ、スペイン第10位の企業に成長しています。

今まで、人に雇われて仕事をしてきたことはあっても、経営した経験なんかないから、無理だと尻込みする人がいるかもしれません。でも、心配ありません。生まれながら経営者だった人は1人もいません。みんなゼロから出発したのです。学ぶ意欲と勇気さえあれば大丈夫。モンドラゴンの人々もこう言っています。

モンドラゴンの人たちは言う--モンドラゴンはユートピアではないし、
自分たちも天使ではないと‥‥ただ一緒に生き残る賢明な道を探しただけだと。
》                                        (映画「モンドラゴンの奇跡」より)

私たちも、勇気を出して、一緒に生き残る賢明な道をともに探しましょう。 そして、経済的にも精神的にも自立しましょう。それが「もうひとつの復興、モンドラゴンの挑戦」を再定義し、私たちの未来をカタチにすることです。

モンドラゴンをモデルとし、相互扶助と自助努力で起業し、その中で生活再建を成し遂げる協同組合活動を具体化していきましょう。日本でも協同組合を支援する法律、労働者協同組合法(労協法)が2022年10月1日に施行されました。

これまで日本では、第二次世界大戦後の失業者対策での就労創出運動から出発した「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会」や、生活クラブ生協の運動から始まった「ワーカーズ・コレクティブネットワークジャパン」など、実態として労働者協同組合(労協)を運営してきた団体がありましたが、根拠となる法律がありませんでした。

労協は多様な働き方を実現しつつ、地域の課題に取り組むための選択肢の一つとして、労働者が組合員として出資し、その意見を反映して、自ら経営することを基本原理とする法人制度のことです。 労協法を活用して、放射能災害の避難者は避難先でみずから就労の場を作り出すことができます。同法7条1項では、持続可能で活力ある地域社会の実現に資する事業であれば、原則として自由に行うことができるとしています。

すべての労働者が同時に資本家=経営者になる協同組合では、協同労働=協同経営の組織ですから、そこでは資本家対労働者のような対立関係、敵と味方に別れるような関係はありません。すべての労働者が尊重され、共存していきます。株式会社の株主と異なり、出資額にかかわらず、組合員は平等に 1 人 1 票の議決権と選挙権を保有し、組合員が平等の立場で、話し合い、合意形成をはかりながら事業を実施します。

こうした協同組合の本質は、このブックレットで議論してきた「人権」の本質の論理必然的な帰結と言えます。或いは、協同組合と「人権」は同じ本質から派生したものだとも言えます。ともあれ、両者は不可分一体なものです。

マルクスは「対等な個人が自由なアソシエートを作る」中で、理想的なコミュニズムが登場するということを言ったのですが、この「対等な個人が自由なアソシエートを作る」というのがまさに協同組合であり、それは同時に、このブックレットで議論してきた「人権」を実現する新しい社会システムだと言えます。




2024年2月22日木曜日

生き直すーー原発事故後の社会を生き直すーー

 或る時、人からこう言われた。

2011年から、ずっとフクシマ後の社会運動を見てきて、分断と行き詰まりの中で、このチェルブイリ法日本版を作ろうという運動が、私にとっては唯一の希望に見えました。」

この言葉は何を意味しているのだろうか。

実は私も、311からだいぶ経って、社会運動をやっている人たちを知る機会が増えるにつけ、真面目で一生懸命な人ほど疲弊してる、疲れ切ってるように見え、その訳をずっと考えて来たが、よく分からなかった。疲弊している当人たちの意識の上では原子力ムラなどの権力の横暴に疲れたと感じていたようだったが、しかし今、それはちがうのではないかと思うようになった。彼らが疲弊する本質は「政治」つまり人々を「敵と味方に仕訳」する政治的思考に翻弄され、思考が停止し、人々を分断させる政治的運動に消耗し、疲弊したんではないかと思い直すようになった。
そしたら、ガンジーやキング牧師やマンデラがおこなってきたのは、人々を分断させる政治的運動の延長ではなく、それとは別次元の全く新しい運動=人権運動をやろうとしたんぢゃないか、と気づいた。だから、彼等は別に社会主義政権を作ろうともしなかった。宗教、肌の色を越えた人々の「和解=共存」を強く訴えた彼等の姿から、これは過去に前例のない、「敵と味方」を「
和解=共存」に変換する人権運動への挑戦なんだと、とても新鮮、身近に感じられるようになった。

人権運動には原理的には賛成も反対もない。それがチェルノブイリ法日本版。
他方、政治運動は原理的に、人々を賛成と反対、敵と味方に仕訳して、自分の主張を認めさせる。それが今の社会運動。
日本版の意味はこうした政治運動を
和解=共存」に変換する人権運動への挑戦にあるのではないか、冒頭の人の言葉を聞いて、そう思った。
それは新たな気づきであり、これが
とても重要だと感じている。一方で、今ほど、社会運動が思考において硬直化、思考停止から脱却し、行動において分断化、孤立化から脱却することが切実に求められている時代はないのに対し、他方で、その脱却を可能にする手がかりが人権だと思うから。人間は人間として生まれたことに最高の価値があり、どんな境遇・条件であろうとも同じ人は二人といない、そうした個性の究極的価値という考え方にもとづいて、つまりひとえに個々人の「人間性」を根拠として、そこから論理必然的に直接に発生したもの、それが「人権」。だから、人権においては全ての人の間に優劣をつけることを許さない。その結果、人権の原理的な帰結は「共存」であり、すべての人に対するリスペクト(尊重)である。
とはいえ、日本政府も人権を賛美して、人権教育をうたう。しかし、人権が人権たる所以、あるいは人権が真価を発揮する瞬間というのは、美しい言葉で語られた人権を人々が素直に受け入れる瞬間などではなく、むしろその反対の、唾棄すべき不条理、理不尽な現実を前にして、人々がどうしてもこの現実を受け入れるわけにはいかないと抵抗の叫びをあげる瞬間に人々の口から発せられる「不条理な現実を否定する言葉」、それが人権である。
チェルノブイリ法日本版は、人々の命、健康、暮しを大切にするという当たり前の願いを実現するために、「敵と味方に仕訳」する政治運動を和解=共存」に変換する人権運動に挑戦する市民が火のような情熱を注いで取り組む場である。

 

2024年2月3日土曜日

第9話 石川・福井の方たちとの意見交換について(まとめ)(24.2.6更新)

 意見交換のテーマについて、少し整理してみました。

1、課題
原発事故発生後には2つの脱被ばく(被ばくしないこと)が課題となる。
①.発生直後の初期被ばくを避ける
②.長期にわたる、低線量外部被ばくと内部被ばくを避ける
以下では、①についてコメント。

2、 初期被ばくを避けるために
①.行政の対策・システムについて、できる限り確実な見通しを持つ。
②.その見通しを踏まえて、市民サイドで何ができるか、何をなすべきかを考え、行動する。

3、初期被ばくに対する行政の対策・システム
 一応、次のようなシステムが整備されている。しかし、現実の原発事故(福島)はこれが全く機能不全。なおかつ、その機能不全を反省していない(それどころかSPEEDIは使わないとか開き直ってすらいる)。
(1)、原発周辺にいくつものモニタリングポストを設置し、汚染状況を把握
(2)、福島原発から5キロの地点に、現地対策本部として対策の指揮を取るオフサイトセンターを設置。
(3)、住民の安全な避難に必要な情報を提供するため、(1)や(2)から得た現地の放射能の測定値をもとに、原発から放出された大量の放射性物質が拡散する方向や放射線量を予測するSPEEDIのシステムを用意。
(4)、被ばく者のスクリーニング(放射性物質が衣服や体の表面に付いているかどうかを調べること)や治療についても体制を整備。 

4、市民は何ができるか・何をなすべきか
それを考えるためには、次の3つのことが必要。
①.明確な指針(哲学)を持つこと
 → セルフケア(自分たちの命は自分で守る) 脱「行政お任せ」 脱「行政依存症」

②.行政の現実の実態をリアルに認識すること
 なぜなら、行政の前例主義から、行政は過去にやったことを今後もくり返すから。
たとえば、
(1)、福島原発から5キロの地点に設置された、現地対策本部として対策の指揮を取るオフサイトセンターが4日で崩壊する顛末ー>オフサイトセンター崩壊(6)
(2)、「行政お任せ」だった福島のヨウ素剤配布をめぐる顛末ー>「プロメテウスの罠 7」85頁以下に詳しい。

③.行政の現実の実態と上記哲学を踏まえて、市民ができる、初期被ばく回避のための具体化に取り組むこと

 ・行政のモニタリングポストに代わる、市民測定システムの構築 ->参考例
 ・SPEEDIに代わる、市民の気象条件把握システムの構築(海外のシステムとの連携)
 ・安定ヨウ素剤の配布システムの構築
 ・避難経路の具体的な検討・策定。

第8話 石川・福井の方たちとの意見交換について

 石川・福井の方たちとの意見交換について、これは最初、私が石川や福井の方たちに相談してみたことなので、私からその趣旨について、少し書かせて頂きます。

1、私が、福井の一般市民の中に、私自身ほかには経験したことのないような、原発事故に対する深い恐怖心とそこからの救出に対する強い願いがあるのを感じたのは、昨夏、福井の日本版の学習会のときに、酒田さんから、署名集めのために、或る宗派のトップの方(その方は幼稚園の理事長もしておられた)にお話をしに行った所、その方が、
「もし福井で原発事故が起きたら、ここの子どもたちをどうやって避難させたらよいのだろうか、それを思うと夜も眠られない」
と言われたという、深い悩みの中におられることを知ったときです。
そして、こういう人たちの悩みに応えるのがチェルノブイリ法日本版(以下、日本版)の意義ではないかと、その時、日本版こそ福井の市民の人たちの願いに向き合えると確信したのです。

2、そしたら、今年元旦、能登半島地震が起き、志賀原発のモニタリングポストも稼動せず、その住職さんの悩みがあわや的中する事態となった時、私は、能登半島地震のような大地震はまたその周辺で起きると強く思ったのです。
その理由は、(新潟県長岡市生まれの)私自身、かつて中1の時、今でもその揺れの恐怖がトラウマになっている新潟大地震に遭遇した時、この巨大なエネルギーの放出のおかげで、あと百年は新潟は安泰だと俗論を信じて安心していたのですが、その安全神話はその後見事に覆されました。長岡は2004年に当時観測史上2回目の最大震度7を記録した新潟中越大地震に遭遇し、その3年後の2007年に、泉田知事も指摘したように、あわや柏崎原発の事故かと震え上がった中越沖地震に遭遇したからです。
これと同様に、石川、福井、新潟は次の大地震と原発事故の発生を想定した生き方を余儀なくされていると思ったのです。
そう考えるほうが合理的だと思ったので、であれば、原発事故発生に備えて何をすべきかについて、現実的な対策を検討することが合理的であり、大切ではないかと思い、石川、福井の現地の皆さんとそのことについて、どのように思い、考えているのか、率直な意見交換をしたいと思ったのです。

3、「原発事故発生に備えて何をすべきか」について私自身が言えることは、ひとえに福島原発事故の経験からそれを考えることです。
私自身、福島原発事故発生直後に思ったのは、専ら、どうやったら「見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒である放射能に被ばくせずにできるか」でした。つまり、どうやって初期被ばくを避けるか、でした。
311直後は放射線について完全な無知の中にいましたが、その後、初期被ばくを避ける唯一最大の方法は、放射線による被ばくから逃げること=避難だと知りました。
しかし、問題はそうした一般論でなくて、事故直後に、どの方向に向かって避難するのが被ばくしないためにベストかを具体的に知ることです。そのためにどういう準備をすることが必要かを理解し、その準備を実行することです。
この具体的な問題について、かつてない痛切な教訓を残したのがチェルノブイリ事故と福島原発事故です。
 

4、チェルノブイリ事故では、政府は周辺住民に汚染状況を知らせなかったのですが、事故から3年後に以下のような汚染地図が公開されてしまい、そこで、多くの避難者がせっかく避難した北東部(ゴメリのような地区)が、避難元よりも高濃度に汚染されていたことを知りました。その怒りが、チェルノブイリ法の制定につながったのですが。


5、この過ちは福島原発事故でも反復されました。事故直後の3月12~15日に、浪江町の住民らが北西部に向かって一生懸命避難したとき、まさにその方向に高濃度のプルームが原発から放出され、この住民らは取り返しの付かない初期被ばくを余儀なくされたのです。しかし、それは被ばくしなくてもよい、避けられた人災でした。
もともと日本政府は、原発事故を想定した対策を立てており、
(1)、原発周辺にいくつものモニタリングポストを設置し、汚染情報が把握できる体制を整備していた。
(2)、福島原発から5キロの地点(大熊町)にオフサイトセンター(原子力災害対策センター)を設置。「オフサイト」とは、原発の敷地内である「オンサイト」から離れた場所という意味で、そこで、現地対策本部として対策の指揮を取る体制を整備していた。
(3)、モニタリングポストやオフサイトセンターに集まる現地の放射能の測定値をもとに、SPEEDIが原発から放出された大量の放射性物質が拡散する方向や放射線量を予測して、住民の安全な避難に必要な情報を提供する体制が整備されていた。
(4)、被ばく者のスクリーニング(放射性物質が衣服や体の表面に付いているかどうかを調べること)や治療についても体制が整備されていた。
       
6、ところで、問題はこれらが実際にどう機能したか、です。結論を言うと、
(1)、原発周辺に設置されたモニタリングポストの多くが作動しなかった。
(2)、オフサイトセンターは完璧な機能不全。停電の上、非常用の電気も起動せず。FAXも使えず、衛星電話も数回に1度きり。
 おまけに、当初、参加予定になっていた文科省、厚労省の医師らが東京からやって来ない。さらに2号機の爆発のあと、線量が急上昇、14日20時には撤退を決定。内掘副知事ら第1陣が出発するや、残留予定の100名が半分に激減していた。来るのは命令しても遅いし来ないが、去るのは命令しても目に止まらぬ早業で消えてしまう。にわかに寄せ集めた行政組織(現地対策本部)は機能不全で、事実上、壊滅、解散状態。
(3)、SPEEDIで計算された情報も速やかに提供されず、そのため、飯館村方面(北西部)に避難した住民は高濃度の無用な被ばくを強いられた。
(4)、スクリーニングの基準値が、医師が足りない等の理由で13,000cpmから100,000cpmに引き上げられた。治療も福島県立医大は医療器具は包帯くらいしかなく、むしろ遺体の収容準備をしていた。体育館は野戦病院になると宣告される。
       
7、以上の実態を報告した文書が、
SPEEDI問題:子ども脱被ばく裁判で提出された児玉龍彦医師の意見書
https://www.dropbox.com/s/cbn3jjfa2ttb6ef/%E7%94%B2C45_1.pdf?dl=0

オフサイトセンター崩壊(6)
https://tansajp.org/investigativejournal/8167/
      
後者には、事故直後のオフサイトセンターの実情を再現しています。また、三春町の写真家の飛田さんがオフサイトセンターに入って撮影した写真も掲載されており、行政の職員らが慌てて撤退したままの状態が写し出されています。

要するに、初期被ばくを避けるために必要な措置とシステムは、ひとまず、行政の手によりすべて揃っていた。しかし、いざ原発事故が発生するや、想定外の事態となり、システムは殆ど全て、人も装置も機能不全、作動しなかった。その結果、住民は本来、避けられた無用な初期被ばくをさせられた。 これが福島原発事故が残した痛恨の教訓です。
      
8、ところで、この「初期被ばくを避けるために必要な措置とシステムを行政の手に委ねる」のが根本的な間違いである。そう指摘したのは、
2017年5月に日本版の呼びかけ(原文はー>こちら)をネットでやったときに、そのよびかけに最初に応えてリアクションをくれた人でした。日本人ではなく、米国人です。
その人は、45年前、スリーマイル島原発事故で被ばくした大学生でした。その時の一生涯の痛恨事から、原発事故発生直後の放射能汚染状況を市民が自ら測定し、これを踏まえて正しく避難、対処する必要性を私たちに伝えてきたのです。チェルノブイリ法日本版には事故直後の汚染状況を市民が正しく知るために、市民自身による自主的測定ネットワークの創設が盛り込まれる必要がある、と。
      
9、この教えを受けて、日本版の学習会では、この市民自身による自主的測定ネットワークの創設を訴えて来ました。
調布の2019年10月26日の学習会で、
新しい段階に入った市民立法「チェルノブイリ法日本版」の学習会、その最初の一歩の記録
として、以下の取組みを訴えました。

チェルノブイリ法日本版の次の再定義。
【単一法ではなく、総合法・集合法としてのチェルブイリ法日本版】 
チェルノブイリ法は「避難の権利」の保障を中心に制定された。
しかし、「福島の現実」に照らし、それだけでは不十分。 例えば健康検査。この仕組みを形式的、一般的に定めてみたところで、福島の県民健康調査の実態に照らしてみた時(※)、このような検査では汚染地の住民、子どもたちの命、健康を十分に守る検査にならないのは明らか。
→「福島の現実」を反復しないために、 「福島の現実」から徹底して学び、それを最高の反面教師にして、何をどう改めていったらよいか、徹頭徹尾、検証し直す必要がある。  

             
その検証を踏まえて、「避難の権利」の中心として、その周辺に、住民の命、健康を守るために必要かつ十分な以下の様々な仕組みを提案していく必要がある。


10、当時は、私の新たな問題提起にとくにリアクションがなかったのですが、今回の能登半島地震で、石川、福井の市民の中から、この問題を共有できる条件がそろったように感じています。
4日は、以上について、活発な意見交換ができたらと思っています。
よろしくどうぞ。

2024年1月27日土曜日

あとがき

1、このブックレットを、2017年、自ら命を絶った福島からの自主避難者Xの霊に捧げます[1]
もし、311までに、或いはせめて311から数年でチェルノブイリ法日本版が制定されていたなら、Xは死なずに済んだと思う。Xは福島原発事故のあと政府が勝手に線引きした強制避難区域の網から漏れ、谷間に落ちた。本人には何の責任もないのに、たまたま谷間に落ちてしまった。その結果、救済されない中、「命をかけて子どもを守る」と決断して自主避難を選択し努力してきたが力尽きてしまった。チェルノブイリ法日本版は、Xのような「迷えるひとりの市民」のためにあるのです。

 2、先ごろ、ドキュメンタリー映画[2]で、太平洋戦争末期の沖縄戦のさなか、沖縄県知事が沖縄県庁を解散すると宣言したことを知りました。解散! まっこと、非常事態のさなかに組織は解散もあり得る、と。沖縄県の解散のとき、その知事が残した遺言が「生きろ」、そして「今度こそ自尊自愛の社会を作ろう」。チェルノブイリ事故から5年後、ソ連は解散しました。その解散の直前に廃墟の中から誕生したのが「生きろ」を形にしたチェルノブイリ法。だから、日本の原発事故という非常事態の下で、「生きろ」を形にしたのがチェルノブイリ法日本版。311後の日本社会を解散して、今度こそ自尊自愛の社会を作ろうという誓いを形にしたのがチェルノブイリ法日本版です。

 3、沖縄戦に巻き込まれた沖縄の市民は、程度の差はあれ、自分たちは本土防衛の盾にされた、捨てられたと感じています。そして、「本土防衛に殉ずる」という思想は沖縄戦で終りませんでした。今なお脈々と厳然と生きています。福島原発事故に巻き込まれた福島の市民もまた、程度の差はあれ、自分たちは本土防衛の盾にされた、捨てられたと感じています。福島原発事故によって日本経済に支障を来してはならないと東北新幹線も東北自動車道も止めなかった。その一方で、福島県内の学校だけ安全基準を20倍に引き上げて、福島県内の学生が県外に集団避難するのを止めたからです。福島県民は子どもだけでなく、大人も公務員もみんな「本土防衛に殉ずる」思想を押し付けられたのです。この思想を解散し、「迷える市民ひとりひとりを救済する」という思想に置き換えたのがチェルノブイリ法日本版です。

 4、再び、2017年自死した自主避難者Xについて。Xは日本政府の線引きにより強制避難区域の網から漏れてしまいました。でも、ひとたび世界に目を向けたとき、国際人権法の人権概念「国内避難民」によると、Xは「国内避難民」に該当する。日本政府も否定しません。
2002年、国外に移住した原爆の被爆者が起こした裁判で、大阪高裁は、判決で
「被爆者はどこにいても被爆者という事実を直視せざるを得ない」
と言いました。この普遍的な真理は福島原発事故の被災者にも当てはまります。つまり、
「国内避難民は、どこから避難しても国内避難民」
だから、強制避難区域外から自主避難したXも「国内避難民」として人権が保障されるのです。しかし、現実に、Xは「国内避難民」として国や福島県から守られなかったのです。そもそも国や福島県は自主避難者の数すら把握しなかったのですから。
この人権侵害をただし、「
迷えるひとりの市民」を救うのがチェルノブイリ法日本版です。

 5、福島原発事故で県外に避難した自主避難者のうち国から提供された仮設住宅(国家公務員宿舎)に入居した人たちは、その後、そこから出て行くように求められ、退去できない自主避難者は退去の裁判にかけられています。ところが、その裁判を起こしたのは家主の国ではなく、入居と無関係な福島県です。しかも、福島県の主張は単なる「不法占拠者の立退き」問題の一点張り。自主避難者は何も好き好んで国家公務員宿舎に留まっているのではありません。多くが退去して新たな生活をスタートする経済的基盤が持てないために、やむなく留まっているのです。なぜなら、国も福島県も、自主避難者が避難先で生活再建できるように、就労支援をはじめとする必要な支援を何もせず、生活再建をもっぱら避難者自身の責任に押し付けているから。そもそも、福島から見も知らない都会に命からがら避難してきて、その都会でどうやって生活再建をしていったらよいのか、途方に暮れるのが当然ではないでしょうか。避難者はアルバイトや非正規労働者として日々の生活をしのぐのが精一杯であり、それ以上、経済的に自立できるだけの安定した仕事に就くことはまず不可能ではないでしょうか。でも、国も福島県もそんなことは百も承知で、自主避難者の生活再建を突き放しているのです。そして、2017年4月が来たら「はい、退去の時間です」と言い放って、言うことをきかないと裁判にかける。「迷える市民」を路頭に迷わせることしかしないのです。
そこには、国や福島県にひとりひとりの被災者の立場に立って「原発事故の被災者の真の救済はいかにあるべきか」というビジョンが何もありません。そして、これが311後の日本社会の縮図ではないでしょうか。そして、これが
311後の私たち市民の不幸の源ではないでしょうか。
半世紀前、公害が日本社会を覆い尽くした当時、私たちの先人は公害日本を解散し、力を合わせてその再生に取り組み、命、環境を守りました。そのおかげで、今の私たちの命と環境があります。それを思い出し、今、311後の日本社会を解散して、ひとりひとりの被災者の立場に立って「原発事故の被災者の真の救済はいかにあるべきか」というビジョンに取り組むときではないでしょうか。これと正面から取り組むのがチェルノブイリ法日本版です。

 6、私たちは、普段何気なく、太平洋戦争の惨禍を経て、日本は民主主義の憲法を制定し、人権が保障されるようになったと思っています。でも、そもそも憲法が人権を保障するとはどういうことでしょうか。それは六法全書の憲法に、人権を保障すると書かれていることでしょうか。ちがいます。書かれているだけでは足りないのです。人権を保障するかどうかは、現実に、人権侵害が発生したとき、それに対する日本社会の対応によって決まるのです。
もし、人権侵害が発生しても日本社会がその侵害の現実に目を背けるとき、たとえ憲法の条文に「人権を保障する」と書かれていても、それは絵に描いた餅にとどまります。半世紀前、公害が日本を覆い、市民の命、健康、暮しを脅かした時、市民が立ち上がり、四大公害裁判をはじめとする様々な市民運動の中で、自分たちの命、健康、暮しを守った。この行動が人権を保障するという意味です。だから、311で未曾有のカタストロフィに遭遇した日本社会が、再び、原発事故により目に見えない形で市民の命、健康、暮しが脅かされているとき、この見えない試練にどう立ち向かうか、それが今、問われているのです。それで、人権を保障したという憲法が死文化するかどうかが決まるのです。その決め手となるのは半世紀前と同様、私たちひとりひとりの市民の行動であります。被災者「である」こと、避難民「である」だけでは足りない。被災者として、避難民として行動「する」ことが求められています。「である」ことから「する」ことに一歩踏み出すことが求められています。その一歩を踏み出すとき、私たちの旗となるのがチェルノブイリ法日本版です。

7、原発事故後の日本社会を生きるとはチェルノブイリ法日本版を実現することです。
                              (24.1.28)


付記

[1] NHK「何が彼女を追いつめたのか 〜ある自主避難者の死〜」(202388日放送)  https://www.nhk.jp/p/ts/GP9LGJJN9N/episode/te/KZQ2KL13KJ/

[2] 「生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事」http://ikiro.arc-films.co.jp/

  *************************

ブックレット 目次(案)

はじめに

 生きる--原発事故後の社会を生きる--

  

第1章:なぜ「チェルノブイリ法日本版」が必要なのか

 「チェルノブイリ法」とは?

 なぜ「日本版」が必要だと考えるのか

 万が一の際、すべての人を救う救済法を作りたい


第2章:どう実現させるのかー市民立法を目指す

 新しい酒(「チェルノブイリ法日本版」)は新しい革袋(市民立法)に盛れ

 『市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会』の結成

 「情報公開法」制定に学ぶ

  ICANに学ぶ

 「生ける法」―市民立法のエッセンス


第3章:「人権」を取り戻すための「チェルノブイリ法日本版」

 放射能災害に対する対策は完全に「ノールール」状態

 被災者の「人権」を法に定めると国家に責任と義務が生じる

「人権」は一瞬たりとも途切れることがない

 国際人権法・社会権規約を直接適用する

 国際人権法が311後の日本社会を変える


第4章:私たちのビジョンー「チェルノブイリ法日本版」は日本社会に何をもたらすのかを考えるか

 理不尽に屈しない

 自分のいのちの主人公になる

 国際人権法にある「人民の自決の権利」

 市民参加型の公共事業を創設する


第5章:「命を守る未来の話」―ティティラットさんに聞く


「チェルノブイリ法日本版」があったらー15歳の私から


「チェルノブイリ法日本版」がないための苦しみ

実践のための手引き


あとがき


条例案サンプル


執筆・編集者紹介


 

2023年10月11日水曜日

第7話 福島原発事故が映し出した私たち市民の最大の課題:自己決定権を適切に行使できなかった(23.10.11)

紛争はその紛争に関わる関係者全てにとって己の正体を映し出す鏡=リトマス試験紙である。

福島原発事故も日本社会を最も赤裸々に映し出した鏡=リトマス試験紙だった。そこでは、少なくとも3つのことが如実に映し出された。

第1が自然と人間の関係。
原発事故は「社会そのもの」を根底から覆すカタストロフィーだった。チェルノブイリ事故ではヨーロッパ全土があやうく人が住めなくなり、福島原発事故では一時は東日本壊滅を覚悟したほどの惨劇だった。

第2が人間と人間の関係。
ただし、今までの私の学習会の説明によると、それは原発を管理する権力を持つ人間側から見た関係のことだった。原発事故は「社会の人間関係」をいまだかつてないほど根底から覆すカタストロフィーだった。子どもの命・人権を守るはずの者(文科省)が「日本最大の児童虐待」「日本史上最悪のいじめ」の加害者となり、 原発事故の加害責任を負う国が救済者のつらをして、命の「復興」は言わず、経済「復興」に狂騒する。他方で、被災者・被害者は「助けてくれ」「おかしい」という声すらあげられず、経済「復興」の妨害者としてのけ者にされ、迫害される。福島原発事故は加害者が被害者、被害者が加害者とされる「あべこべ」の人間関係を生み出した犯罪だった。

第3として、実はもうひとつの人間と人間の関係があった。
それは原発を管理する権力を持つ人間たちと対立する、そのような権力を持たない大多数の人間側(その中心が被災者・被害者である市民)から見た関係のことだった。
問題は、福島原発事故が映し出した、これらの市民の最大の課題は何だったのか。
思うに、それは被災者・被害者である市民が自らそして家族や仲間の命、健康、暮しを守るために必要な自己決定権を適切に行使することが出来なかったことである。
自己決定権とは自分がどう生きるか、それを決めるのはこの私自身であるという思想に基づき各人に認められた権利である。それは人間が人間として扱われ、人間として生きる上での出発点となる権利である。この根源的な権利は福島原発事故のようなカタストロフィーの時こそ最も必要となる権利だった。しかし、私たち市民の多くは、福島原発事故のあと、事故と政府とマスコミに翻弄され、この大切な自己決定権を適切に行使できなかった。その結果、原発を管理する権力を持つ人間たちがおかした数々の犯罪に抗議し、抗い、これを止めることも出来ず、彼等の犯罪のおかげで、しなくてもよい無用な被ばくと苦痛、苦悩を強いられた。のみならず、自己決定権を行使しなかったため、そうした犯罪と人災をあたかも自分の運命であるかのようにみなし、諦め、そして甘受してしまった。

日本版は、市民の側の「自己決定権を適切に行使できなかった」という誤りに対する痛切な反省の中から生まれた。この痛切な反省に立って、二度とこの誤りをくり返さないために何が出来るか、何をなすべきかを問い続けるもの、それが日本版。

 

 

第2章:「人権」を取り戻すための「チェルノブイリ法日本版」

放射能災害に対する対策は完全に「ノールール」状態 311後、福島原発事故で甚大な「人権」が侵害されているにも関わらず、これを正面から救済する人権保障の法律も政策もないという異常事態にあります。第1章で述べましたが、「人権」とは、命、健康、暮らしを守る権利のことです。 国や福島県は...